ウェブの半数超がポスト量子鍵交換に対応しているものの、エッジより奥のシステムが量子の脅威に備えられているかどうか、CISOの取り組みを示す指標にはなっていません。
量子の脅威はセキュリティ責任者にとって懸念を強めていますが、自社ウェブサイトの玄関口での防御を、事業全体の量子耐性への備えと取り違えている企業は少なくないようです。
F5 Labsの調査によると、世界の上位100万サイトのうち54%がポスト量子鍵交換に対応しています。一方、6月に実施されたKPMGの調査では、ポスト量子暗号(PQC)を積極的に導入していると答えたCISOは27%にとどまっており、この数字は心強い結果といえます。
しかしF5 Labsの「State of PQC on the Web」調査によると、こうした進展の多くは、コンテンツデリバリーネットワーク(CDN)事業者が保護機能を有効にしたことによるもので、各組織が自社インフラをアップグレードした成果ではありません。KPMGの調査では、CISOの38%が量子の脅威を、影響の大きい新たな脅威の筆頭に挙げています。
F5 Labsのディレクターを務めるDavid Warburton氏は、「54%と聞くと量子安全なウェブの実現まで半分来たように思えますが、何を測定した数字なのかを明確にする必要があります」と指摘します。「対応の多くは、CDN事業者がPQCをデフォルトで有効にしていることによるものです。Cloudflareでホストされているサイトを除くと、この数字は22%に下がります」
F5 Labsが調べたのはウェブサイトのフロントエンドのみです。Akamai、Cloudflare、Amazon CloudFrontといったCDNの背後にある企業のアプリケーションサーバーにはアクセスしておらず、内部通信でPQCが使われているかどうかも確認していません。
「そうした内部の接続は、『今収集して後で解読する(harvest now, decrypt later)』攻撃の標的として、さらに大きな狙い目になり得ます」とWarburton氏は述べます。
認証(アテステーション)システムを構築するエンジニアリング企業The Capital Indexの創業者、Serhii Nikolaichuk氏も同様の見方です。CDNが有効にした部分より奥にある「オリジンへのホップ、サービスメッシュ、VPN、SSH、コード署名は外部からは見えません。企業の備えの実態はまさにそこにあります」
エッジの先にある課題
独立系の専門家も、F5 Labsの大筋の結論を支持しています。真のポスト量子対応には、テクノロジースタックのあらゆる層をアップグレードする必要があると警告しています。
経営コンサルティング会社Deloitteのシニアサイバーセキュリティコンサルタント、Anastazija Pažin氏によると、エッジでの導入は意義ある前進ですが、企業の備えを測る信頼できる指標ではありません。
Pažin氏は「CDNによって有効になったPQCは、クライアントからエッジまでの接続を確かに保護します」と述べます。「ただし、その保護はオリジンサーバー、内部API、サービス間通信、企業のPKIには自動的に及びません」
PQC専門企業PQShieldの最高戦略責任者、Ben Packman氏は、ポスト量子の導入が最も進んでいるのは一元的に有効化できる領域だと指摘します。このようなずれが生じる理由の一つは、実装ガイダンスが中核となる標準にようやく追いつき始めたばかりである点にあるといいます。
Packman氏は「NISTが最初のPQC標準を確定したのは2024年でした。一方、たとえばIETFがTLS 1.3向けのハイブリッド型ポスト量子鍵交換メカニズムを定義する標準を公開したのは、今年8月になってからです」と説明します。
技術的負債
レガシー技術への依存に他の依存関係も重なるため、量子暗号へのアップグレードは決して容易ではありません。
企業には古いクライアントやパートナーとの連携、変更管理プロセスがあり、すべてを短期間でアップグレードするのは困難です。PQCに対応する製品へ更新していないベンダーも多くあります。
Warburton氏は「54%という数字が示すのは、PQCの鍵交換への対応状況です。PQC証明書は、公開インターネット向けにはまだ利用できません」と指摘します。「Merkle Tree Certificatesはデスクトップやモバイルのブラウザーには役立つはずですが、PQC証明書が必要になる環境はほかにも数多くあります。そうした環境では、サイズがはるかに大きくなることが問題を引き起こすでしょう」
証明書管理も技術面の障害となります。
Warburton氏は「いまだに証明書を手作業で発行しているなら、47日間の証明書有効期間が適用されたときに深刻な課題に直面するでしょう」と結論づけます。
PQCへの対応の遅れは、機微で長期間保持されるデータを扱う業界で特に顕著です。たとえば、調査対象のうち政府機関と通信事業者のウェブサイトでポスト量子鍵交換に対応していたのは、わずか35%でした。
業界ごとの違い
政府機関や重要インフラ事業者は、長期間稼働する制御技術(OT)や自社運用のシステムを多く抱え、調達サイクルも遅い傾向があります。これが量子耐性への備えをさらに難しくしています。
F5 Labsのより広いサンプルでは、回答したウェブサイトの10件に1件超が、いまだにTLS 1.3に対応していませんでした。TLS 1.3は、F5がテストしたポスト量子鍵交換の前提条件です。
F5は、ウェブサイトの公開エッジでの保護は価値ある一歩であるものの、組織のサーバーや内部アプリケーションが量子耐性を備えているかどうかは確認できないと主張しています。
これに対し、デジタルトラストインフラベンダーKeyfactorのCSO、Chris Hickman氏は、F5の数字ではPQC対応の全体像を反映できていないと述べます。
Hickman氏は「たとえば、PQCへの完全な備えで先行している業界は、金融、通信、政府で、医療も取り組みを急速に加速させ始めています」と語ります。「繰り返しになりますが、この結果の違いは、ウェブに焦点を当てた調査と組織全体の取り組みの差によるものだと考えています。ウェブは組織全体の取り組みの一要素にすぎません」
金融機関や重要インフラ事業者は、暗号の棚卸し、リスク評価、移行ロードマップの策定を通じて、PQC対応にますます取り組んでいます。ただしDeloitteのPažin氏は、計画の成熟度と導入の成熟度を混同すべきではないと述べます。
Pažin氏は「金融機関は、HSM(ハードウェアセキュリティモジュール)、決済インフラ、PKI、サードパーティーのサービスが絡む複雑な依存関係に直面しています」と述べます。「通信事業者は、大規模なネットワークインフラと相互運用性を考慮しなければなりません。産業環境では、長期間稼働するOT、制約の多いデバイス、業務を止めかねないアップグレードの機会が限られていることが、さらなる課題となります」
Pažin氏は「その結果、サイバーセキュリティガバナンスが比較的成熟している組織でも、実装面で大きな課題に直面する可能性があります」と付け加えます。
PQCへの備え
PQCへのアップグレードに踏み出す組織は、まず既存の暗号利用状況を棚卸しすることです。続いて、数年にわたり機密性を保つ必要があるデータを優先し、変更に最も時間がかかるシステムのアップグレードを計画します。
F5 LabsのWarburton氏は「それは、公開ウェブサイトにとどまらず、内部アプリケーション、API、VPN、IDシステム、組み込みライブラリーにまで目を向けることを意味します」と助言します。「暗号の部品表(CBOM)を作成し、それを最新に保つ作業の責任者を明確にしてください」
企業は次に、レガシーな依存関係を取り除き、可能な箇所でハイブリッドPQCを有効にし、証明書管理を自動化すべきです。Warburton氏は「更新のたびに大規模なインフラプロジェクトになることなく、アルゴリズムと証明書を変更できる状態が必要です」と付け加えます。
Deloitteのパジン氏は次のように結論づけます。「意味のある企業の備えの評価では、組織が自らの暗号の依存関係を把握しているか、量子関連のリスクに応じて資産に優先順位を付けているか、大規模なアーキテクチャーの混乱を伴わずに脆弱なアルゴリズムを置き換えられるかを検証すべきです」